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しがないゲーオタ女子の真・闇ブログ

それでも、友達でいさせて――『Emily is Away Too』レビュー

ポケ森で釣りやクラフト作成に夢中になってるうちに、今年もあっという間に年末になってた。うわーあと3週間で2017年も終わるってまじかー。ゲーオタブログだから、なんとなく使命感に駆られてゲームオブザイヤー的エントリとか書かなくっちゃ……とその前に、ひとつ書いておきたいレビューがあったのだった。

 

store.steampowered.com

 

『Emily is Away Too』。以前も誰かの人生体験エントリでちょっと触れたが、前作『Emily is Away』をクリア後に続編を買って、先日クリアしたのだった。今年5月にリリースされたので、自分的ゲームオブザイヤーにももちろんノミネートしているのだが、それとは別に独立エントリを書きたかったので、書く。

あらかじめ断わっておくと、自分の英語力はせいぜい高卒レベルで、Steamや海外ゲームフォーラムで何を言ってるかのニュアンスを辛うじて理解できる程度で、本作における英語チャットも、キーワード、語彙の強弱などで会話の流れをなんとなく分かってみたつもり……な範疇なので、具体的なストーリーや会話内容は、あくまで自分の意訳・解釈も入っており、ほとんど参考にならないかもってことを、どうかくれぐれもご理解いただきたい。

 

舞台は2006年。AOLメッセンジャー風チャットで、大学へ進学した女友達のEmilyとEvelynの二人と、同時にチャット会話をするだけのゲームだが、時代背景や二人の女友達とのウィンドウを切り替えながらのリアルタイムなやりとりが、非常にリアリティがある。馬鹿の一つ覚えのようにリアルリアル、とつい言ってしまうが、会話にあわせて選択肢をクリックすると、どのキーをデタラメに押しても自動的にカチャカチャッと入力されるテキスト――これは体験しないとわかりにくいが、まるで自分が英語を流暢に、カッコよく打ち込んでるように錯覚できる――を読んでいるだけなのに、モニタの向こう側の誰かと実際にチャットしているような、自室でPCに向かっているときの空気とキーボードの肌触り。バーチャルなのに、とにかく現実感があるのだ。たとえば自動入力されるテキストは、時々ミスタイプもするし、自分の選択した内容を打ち込んでたのが、途中でタタタッと全消して別の異なる返答を書いてしまう。Returnを押す直前、ホントにこれで送っちゃっていいのかな……あーやっぱやめた! と、送信前のためらいを感じさせるアレ、チャットあるあるだ。自分の選択肢ではない答えをはじき出す……前作でも体験した、この思わぬ展開を見せる演出には、非常に驚かされた。

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Emilyから「好きなゲームジャンルは何?」と尋ねられた。下手の横好きだけど、この中ならFPSかなー。RPGとも迷ったが、日本と海外で「シューティング」の単語の意味が異なるのと同じ誤解を招きそうなので、FPSと答えた。ゲームスタート時に選択できるアイコン(2006年当時に流行の音楽や映画、ゲームやネットミームなどのシンボル)も含め、どれを選んでもゲームの進行上は特に関係なさそうだが、こんな具合で他愛もない会話が続く。

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彼女たちにはそれぞれ好みのアーティストがいて、チャット中にYouTube風ページのPVリンク(中に実物のYouTubeリンクが埋め込まれて再生できる)を貼って「これ最高にクールだから聴いてみて!」と勧めてくる。PVやアイコンのセンスからみて、Evelynはハードコアなパンクロックが好きらしい。ほかにもFacebook風サイトがあったりして、どれもシリーズ特有のドットナイズがとてもよくできている。

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下記リンクはゲーム内に出てくるフェイクサイト集。

Surf the web like it's 2006!

 

彼女らはPVリンクだけでなく「あいつ、こないだ私にこんなヒドいコト言ったのよ!」と、他の男友達とのチャットログも送ってきたりする。すると実際に、自分のPCデスクトップにログファイルが作成されるのだが、これにはかなりドキッとさせられた。これはただのゲームのはずなのに、会話ログという他人の秘密を実在するデータとして送ってくるのだ。EmilyとEvelyn、君たちはゲームのプログラムなんかじゃなくて、本当に存在しているんじゃないの?

 

こうして時間を重ねるうちに、ウィンドウを頻繁に切り替えながら二人同時に込み入った会話を進めていくようになるのだが、選択肢ウィンドウの下に突如、時間制限バーが現れる。時間内に選択肢を選び会話しなければならなくなり、焦りが生じる。もしかしてタイトルの“Too”(Two)って続編って意味だけでなく、二人のヒロイン、二つのマルチウィンドウともかかってるのかな……など漠然と考えながらチャットしていたら、おそらく制限時間内に返事が間に合わなかったのか、選択肢を間違えてしまったのか、Evelynが「ねえ、ちゃんと聞いてる? いま別の子と話してて忙しいの?」と機嫌を損ねて、突然Awayしてしまった。

そうこうヤキモキしているうちに、EmilyにもEvelynの存在が知られて、「仲のいい女の子がいるんだね……」と不穏な流れになり、そして再び、この展開が訪れてしまった。

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 “僕たちは、好きでいていいの? まだ友達でいられるの?”

翻訳か正しいかどうかは自信がないが、きっとそんな事を伝えたかったのだろう。これは主人公の叫びだが、いつの間にか、自分自身のかなわぬ願いとなっていた。前作でも、ハイスクールの卒業を控えて、いい感じになってはいたが友達のエリアを越えることもないままのEmilyと主人公二人の関係が、別のボーイフレンドとのケンカ話、アルコールの入ったパーティーに誘う/誘わないなどの些細で、さまざまな行き違いが生じ、元の関係に戻れなくなってしまう。

 

jp.automaton.am

Automatonのこの前作レビューを読み、非常に感銘を受けたのがきっかけでプレイしてみたが、何度周回プレイをしてみても、やはりEmilyとはAway=別れる結末しかたどり着けなかった。 三択すべてが“good bye”となり、どのgood byeを選んでも、主人公=自分はあのときのEmilyとはキスができないのだ。 

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『Emily is Away Too』エンディング後に現れるリザルト画面。総プレイ時間は約5時間。友達以上率(?)は高いが、まだ全然エンディング率を埋められていない。Emilyに二度目のgood byeを告げたばかりで、すぐに周回したい気分にはならなかった。

 

ここからは、本作やゲームとも特に関係なく他愛もない、個人的な話になる。

自分は現在、業務上の都合でWindowsユーザーだが、元々は20年以上前からこのハンドルネーム(Mac-girl)を名乗っているほどのMacユーザーで、ゲームキューブ版『PSO』で知り合ったネットの友人たちと、MacICQMSNメッセンジャーで夜通しチャットしたりして過ごしていたので、本作のモチーフであるWindows XPとAOLメッセンジャーは当時使ったことがないのだが、Windows XPの起動音~ハードディスクの書き込み音、メッセージ送受信のラリー音、メッセンジャーのインターフェース、相手がメッセージを記入中の表示……など、間接的だが、パソコンで会話するあの感触は、痛いほど、すごくよく分かる。OSは違えど、90~2000年代のPCチャット経験者ならではの共有体験なのだ。近年はコミュニケーション手段がスマホSNSに取って代わられてしまい、わざわざデスクトップPCに向かってチャットする若者も減少傾向なのかもしれない。PCメッセンジャーは、いずれ黒電話のような存在になるのだろうか。

 

気の合う友人たちと、夜な夜なPCチャットをしているうちに、くだらない話から次第に割と込みいった人生お悩み相談や恋愛話になったり……当時はすでに携帯電話もあったが、電話で話すのとはまた別物の、テキストを通じたコミュニケーションに、新しい意味や特別な価値、より深い人間関係の構築を見いだしていた気がする。

でも、それはただ「そんな気がしていた」「つもりだった」という何ら確信のない、ボンヤリした曖昧な記憶だけで、会話の内容も、実際には特に中身もなく取るに足らない、どこの誰にでもあるどうでもいい、ただの出来事――ごく個人的な、けど他人の単なる昔話だったのだ。テレホタイムに夜通しネトゲやPCチャットをしていた事実や体験は、年を経た現在でも鮮明に覚えているが、あの頃にはもう戻れないしやり直せないし、同じようにはできない。

本作の主人公のように、楽しかったエピソードだけでなく、時には返答に迷ったあげく誤解を招いて、嘘を重ねて過ちを犯し、傷つき傷つけ、裏切り裏切られ……好きなひとやモノなどの大切だった何かを数バイトのログに落とし込み、もはや復旧も再生もできないハードディスクの奥底へ閉じ込めてしまっていた、切ないデジタルの思い出を、『Emily is Away』は、痛いほどよみがえらせてくれた……よみがえったからって何かあるワケでもないし、過去の自分には訪れなかったいわゆる青春のキラメキを、ないものねだりするしかないのだが、つい先日、自らの20年ヒストリーをプレイバックしたときのように、この気づきや振り返りは、少なくとも自分にとっては、これから先が長い(短い?)かもしれない人生を、もう後悔なく生きるために、必要な一区切りなのだと感じた。

ネット界隈でよく聞く「自分ら世代の若い頃に、インターネットやSNSがなくて本当に良かった。もし昔に使っていたら、きっととんでもない後悔やバカなマネをしていた」というコメント、同意するし実に分かりすぎるのだが、メッセンジャーチャット経験者は、本作をプレイしたうえで、どうか少し昔の頃を、じっくりと思い出してほしい。「若い頃に、インスタントメッセンジャーがあったことで、後悔やバカなことをしてしまった」と。

 

最後に本作の話へ戻ると、エンディングでとあるアーティストの名曲が、テーマソングのようにYouTube風ページで再生されて、おそらくEmilyたちと同じ世代には少し懐かしく、グッとくる演出なのだと感心した。が、Emily世代よりも少し上世代の自分にとって、個人的にはあまりクるものがなかった。40年ほど前のだいぶ古い曲だけど、いまの心象風景的には、むしろこっちのほうがエンドテーマとしてはピッタリかも。 

 

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トッド・ラングレンの“Can We Still Be Friends” 。最近、映画「ヴァージン・スーサイズ」のサントラがきっかけで、トッドの曲を久々に聴きまくっていたタイミングで、この曲の存在を思い出した。女々しいオトコの歌だけど、ナイーヴな男心を分かってあげられない女の立場で聴いてもやるせなく、切ない曲。

 

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実はロバート・パーマーのカバー版のほうが聴きなじみがあったり。マーヴィン・ゲイのカバー曲がもっとも有名な彼だけど、この曲が一番好き。もしかしたらトッドのオリジナル版よりも好きかも。しかしロバート・パーマー、男前だなー。

 

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ダリル・ホールとのセッションライヴ。熟練された演奏と美しいコーラスに、胸が奮える。トッドの最新近影を見ると、なぜか大物ロックンローラー寄りになってて内田裕也化が著しくてアレだが、このトッドはめちゃカッコいいと思う。ブラック・ジャックみたいな白黒ツートンヘアーも好み。

 

“We can't play this game anymore but Can we still be friends?”

もうこれ以上、こんなゲームは続けていられない
それでも僕たちは、友達でいられるかい?

 

――私は、これからも好きでいて、いいのだろうか。

せめて、それでも――友達でいさせて。

 

 

【追記 12/16】

help.aol.com

wired.jp

奇遇にも、AOLインスタントメッセンジャーが今年の12/15をもってサービス終了してしまうことを、今さらながら知った。サービスが終わる前にこのエントリを書けて、本当によかった。AIMがなければ、このゲームも生まれなかった。感謝。