Read me 激情

しがないゲーオタ女子の真・闇ブログ

Read me 90年代カルチャーと人生

近頃、90年代カルチャーの話題を何かと見かけるようになった。90年代に青春時代をすごした自分も、あの時あの時代、そして触れてきた90年代カルチャーについて、人生の記録のひとつとしてブログに残したくなり、ほんの少し勇気を出して、書こうと思う。自分のことを古くから知っている人にも、ほとんど話したことがないかも。本件に関しては、くれぐれも関係者に直接問い合わせなどしないようお願いしたい。自分もなにか聞かれてもノーコメントです。ま、そういうことが昔々にありましたよー程度に収めてもらえれば。


* * *

1995年。デザイン専門学校を卒業し、オタク系編プロの女性だけの新設デザイン部署スタッフとして入社した。同期の女子デザイナーたちとは、入社前の研修期間から気が合って仲良くなり、忙しくも楽しい新社会人生活を送っていた。

ところが、入社して数ヶ月目、仕事で大きな失敗をしてしまって以降、同期で年上のチーフを中心に職場で無視されて、仕事も回してもらえず仲間外れに……いわゆる職場いじめに遭った。未熟な自分の失敗へのアフターフォローが良くなかったのかもしれないが、「よくも私に恥をかかせたね。もうお前と仕事したくない!」みたいに罵倒されたのを覚えている。デザイン部署は本社屋から離れたテナントにあり、時折訪れる編集スタッフからも特に気づかれず、完全に離れ小島で孤立していた。女子校のいじめってこんな感じで陰湿なのかな……と、共学出身の自分は思った。同期チーフたちがキャイキャイ楽しく騒ぐ陰で、悔しくて悲しくて、涙ぐみながら仕事していた。

毎日がつらすぎて、もう会社を辞めようかと思った矢先、本社の社長から、総務付けの新設デザイン部(という名のひとり部署)への異動を命じられた。今振り返れば、たぶん同期チーフが社長へ「アイツいらねーから、クビにするか左遷しちゃって」と頼んだのかもしれない。文字通りひとりぼっちになってしまったが、別部署の先輩DTPデザイナーたちの仕事をお手伝いしつつ、当時黎明期真っ只中だったMac DTPデザインの最前線の現場を、まだアナログデザインが主流だった女子デザイン部よりも先に体験し、経験値を積むことができた。なによりも、陰湿な同期チーフたちからも距離を取れたのが本当によかった。
ひとりぼっち部署だったのが、編集部から異動してきた先輩がトップになり、編集希望の見習いアルバイトが何人も出入りし、いわゆるファミ通編集部でいうところの「スラム」のように、そこから編集部門へ昇格するなど、最終的には数十名の大きなマルチ業務部署に成長した。デザイン課の自分にも、何名か優秀な後輩ができたのが嬉しかった。
2001年に編プロを退職するまで、様々な仕事をしてきたが、ひとり部署駆け出しの97年にやったコレが特に印象深くて大変だった。映画『ファイナルファンタジー』制作のため、スクウェアのホノルルスタジオへ移籍する金田さんの壮行会的に、アニメーター有志で原画集を作ることになり、なぜか下っ端の自分にデザイン仕事が回ってきた。劣化で今にもボロボロに破れそうな大変貴重な作画を、手作業で1枚1枚スキャン~リタッチ、レイアウトした。ロボットアニメに疎かった当時、金田さんがどれほどスゴい人なのかをイマイチよく知らず、担当編集から「ど根性ガエル」の原画をやっていた人ですよ! と説明され、畏れ多くもそのすごさをやっと理解した。これらの業務をこなしながら、アニメの歴史を自ずとイチから勉強して、オタクの基礎知識を蓄積できたのがよかった。

yasushikun.exblog.jp

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編プロ退職後、広告デザイン会社へ転職し、粗削りで付け焼き刃なデザイン技術を改め、イチから修業を積み直すような仕事はキツかったが、大好きなマンガの装丁を何冊も手掛けられて、同年代の同僚仲間たちとも、まるで部活動のようにオンオフ問わず仲良くできて、とても楽しかった。2004年に転職した現職では、すったもんだがありつつも、同僚たちや仕事にも恵まれて、今に至っている。なんだかんだで、今年でデザイナー歴26年目になった(ひえー)。

職場いじめしていた同期チーフらが、その後どうなったのかは知らないまま。自分が退職するまでの間、社内ですれ違っても一切会話をしなかったし、OB編集たちからも特に話題を訊かなかった。風のうわさでは、自分が世話になった先輩デザイナーとデザインユニットを組んでフリーになったそうだが……名前をググっても、それらしい案件は特に出てこなかった。少なくとも、同じオタク業界にはいないのかもしれない。

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……ここまでの話だと、ただそこらにあるどうってことない、90年代デザイナー駆け出し昔話にしかすぎないのだが、自分をいじめていた同期チーフたち(以下、彼女ら)が、渋谷系サブカルにどっぷりハマっていたサブカル系人間で、1995年の職場には、渋谷系サブカルが溢れかえっていた。

 

macgirl360.hatenablog.com

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過去エントリだと、ちょうどこのへんで書いてるあたり。当時の写真も参考にしつつ。彼女らは、CUTiEやZipperに掲載されているような原宿系ブランド服を身にまとい、職場ではキモかわいいアメトイを机に飾り、モンド映画のポスターやフライヤーを壁に貼り、ガロなどのカルト漫画を読み、ラジカセで渋谷系音楽CDをかけまくっていて……どこまでもオシャレでキラキラした、渋谷系サブカルだった。
デザイン専門学校を卒業したての、ゲームオタクで地味で朴訥な自分は、とてつもない衝撃を受けた。都内の学校に通っていたとはいえ、こういうオシャレな人種は専門学校にはいなかったからだ。彼女らの影響を目いっぱい受けまくり、ある意味、社会人デビューした。

ノーブランドなファッションも、給与の一部はヒステリック・グラマーやオゾン・コミュニティ、ベティーズ・ブルー、スーパーラヴァーズなどのカワイイ原宿系服とハイテクスニーカーに変わり、音楽は彼女らが職場でよくかけていた洋楽やトラットリア・レコードのコンピCDを気に入っていた。

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映画はシネマライズ新宿武蔵野館BOX東中野などのミニシアター系映画館に通ったり、同期からVHSで借りたアップリンクモンド映画「ヴェガス・イン・スペース」に衝撃を受けた。ジェーン・フォンダSF映画「バーバレラ」にインスパイアされたマニアックなドラァグ・クィーン映画だが、いまだにDVD化しておらず、ネットで予告編を見るしか再見の機会がない。

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ヒステリック・グラマーのデザインモチーフとしても使われている、ラス・メイヤー監督のカルトな巨乳エロス&バイオレンス映画にもハマった。「ファスター・プッシーキャット!キル!キル!(Faster, Pussycat! Kill! Kill!)」、「女豹ビクセン」のヴィクセンシリーズが好きで、こういうエロカッコいい女子になりたいと憧れていた。いまの現職が「闘うヒロイン陵辱」をテーマにしているのは何らかの縁を感じるが、ただの偶然や気のせいかも。

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編プロで部署異動後に従事した先輩男性デザイナーも超サブカルな人で、先輩の机の上に置いてあった「クイック・ジャパン」や「危ない1号」を、こっそり読んでみたら、記事内容に大変ショックを受けた。これらのサブカル雑誌がきっかけでゴミ漁りや特殊性癖、死体写真収集などの悪趣味ワールドがあるのを初めて知ったのだが、ただ刹那的でセンセーショナルなだけの悪趣味サブカルは、結局自分には何も残さず通過してしまった。ただクイック・ジャパンで天才・中村一義を知ることができたのは大収穫だった。同じ江戸川区出身の同年代なので、今でも応援している。

自分は中高~専門学校に孤独なオタク時代を過ごし、友人は数名いても、常にひとりで密かに楽しんでいたゲームや音楽、漫画のオタク趣味を、誰かと共有する機会が一切なかった。ゆえに、就職してから出会った、自身のオシャレな趣味嗜好を自己主張のように誰かと共有するのが前提の90年代渋谷系サブカルは、衝撃以前にカルチャーショックだった。26年経った今でも影響は残っているが、ファッションは年齢や体型、趣向の変化でもうブランド品は買わなくなり、20年以上着ているヒスグラのTシャツ数枚が残っているだけ。映画もかつて通ったミニシアターが閉館してしまい、サブスクで観るのが主流で映画館へひとりで観に行く機会すらなくなってしまった。音楽方面では、職場で聴かされた渋谷系裏原宿楽曲は当時さほど好みでなく、いまサブスク配信で改めて聴き直してみて、名曲だったのだなーと再確認している。

90年代渋谷系サブカルは、オシャレでキラキラで憧れの世界だったが、自分を陰湿にいじめた彼女らがフラッシュバックして、やはり自分には程遠く縁遠い世界であり続けていたのが、このたびの一連の過去いじめ報道で、イヤでも思い起こされてしまった。渋谷系サブカル側にいた全員がいじめっ子では決してないのだが、渋谷系サブカル人たちにいじめられた当事者としては、今でもよいイメージを持てないままでいる。比較しようがないが、お互い「たった一度の過ちで全否定」されている状況が皮肉だった。

 

このエントリを書き出してしばらく、イヤな動悸がして、やはり自分にとっては最も記憶の奥底にしまっておきたい過去のトラウマだったと再認識した。でもこれを書ききることで、あのとき関わった人間たちや90年代カルチャー、昔の自分のすべてに、ケリをつけられる。いや、今回の件をきっかけに、90年代の過去やカルチャーを省みて、長年放置していた憤りにケリをつけたくて書いている。

部署異動後、同期チーフの旧友関係で入社した女性スタッフがいて、彼女も何らかの仕事ミスで、友人である同期チーフから避けられてしまい、あの子は昔からそういう人間だから……と話していた。自分より少しお姉さんの彼女とは、とても仲良くなった。いまは疎遠になってしまったが、元気にしているだろうか。
昔、仕事面で信頼を失ってしまったことで、同期から村八分にされたのはきっと自分にも負の面もあったのだろう。けれど逆に異動を機に人生逆転劇があり、今でもデザイナーを続けられている。これでおしまいにしたい。


もっと過去を掘り起こしてみて、いじめる側にいなかったかといえば、嘘ではない。中学時代にオタクグループの男子(休み時間にいつも『ロードス島戦記』などのTRPGを遊んでいて、多面体ダイスをたくさん持っていた)がクラス中からいじめられていて、自分は彼の隣席で、どちらかというと彼のそばにいるのがイヤな方だった。ある日突然、彼がキレて机や椅子を投げて反撃して以降、クラス内のいじめはなくなった。そして数年後の成人式、彼は紋付袴をビシッと着て、扇子をあおぎながらオタクグループと共に晴れやかに参列しているのを見かけて、なんだかカッコいいと思った。いじめられっ子だった彼は、成人してとても幸せそうに見えた。

 

誰かから理不尽でつらい仕打ちを受けたら、「私はあいつらよりも、絶対に幸せになってやる!」と決心するようになった。不幸な目に遭った自分が幸せになるのが、最高の報復だからだ。いまはよき友、よき仕事や家族にも恵まれ、(今のところ)まことに幸せな人生を送れている。世間が90年代サブカルで盛り上がってるし、自分のように彼女らもどこかで昔話をしているのだろうか……もう、どうでもいいや。きっといまは、彼女らよりも幸せになっているから。