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しがないゲーオタ女子の真・闇ブログ

何者かになれなかった自分へ。後編:00年代語り

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前編の続き。Netflix映画「ボクたちはみんな大人になれなかった」の舞台と時系列になぞらえて、後編は00年代語り。00年代だって、もう20年も前になってしまった。20数年間も、ただゲームして遊んでいい気持ちになって、時には傷ついて落ち込んで泣いて、歳ばかり取ってしまっただけじゃないだろ? と過去と現在の自分へ言い聞かせるために、書く。

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撮影年数が不明の、おそらく2001年頃に田舎の釣り堀へ行った時のスナップ。茶髪ロング時代。相変わらずどの時期の写真も容姿が全部違う。そういえば編プロ時代の初期はメガネかけてない写真が多かった。いつからメガネっ娘になったんだっけ……。

バブル以上バブル未満、結果的にバブルだった00年代

2001年。早稲田から神保町へ引っ越したオタク系編プロで、毎日激務に追われ、会社や自分の先行きがいよいよ見えなくなってきた時に、転機が到来した。田町の広告デザイン会社への転職。面接の時、えらそうな人から「広告ってのはね、キミの親くらいの世代のえらい人たちを納得させるのが仕事なんだよ。分かる?」と謎の脅し文句が出てきたが、結局何だかよく分からないまま採用されたのを思い出す。

自分の主な業務は前職と変わらずオタク系、漫画誌のデザインやコミックスの装丁。一方で隣部署では、街のあちこちや雑誌で見かけるような、一流メーカーの商品広告を制作し、一流広告代理店のアートディレクターが出入りしていて、まるでTVドラマのような世界に見えた。
職場がオタク系で、周囲はオタクだらけで、(サブカルや原宿系ファッションで武装しつつも)自分も根はオタだったから、広告デザイン会社で一流の広告を作っている美男美女ばかりでオシャレなデザイナーたちに、オタバレしたらどうしよう……と謎の畏怖の念を抱いていた。しかしスタッフは先輩・後輩もみな優しくフレンドリーで、まるで部活動のような職場だった。自分は万年帰宅部で実際に部活経験はないが、なんとなく部活感があった。

チームの垣根を超えたメンバーで、ほぼ毎週末、飲み会があった。早稲田編プロ時代も、週末に高田馬場でアニソンカラオケ飲み会はあったが、それ以上の習慣だった。田町周辺から恵比寿~渋谷まで徒歩やタクシーで遠征して、朝まで3軒ほど居酒屋やバーをハシゴして飲んで騒いでいた。みんな若くて、先輩の面倒見もよく、お酒が好きな面子が多かったのだろう。毎週末飲みに行けるほどの収入にも恵まれていたのだろう。いいお店もいっぱい連れて行かれて教えてもらったりして、恵比寿に朝8時からやってる居酒屋があるのが衝撃だった。

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その頃よく聴いてた曲、スガシカオの「8月のセレナーデ」。職場のラジカセでは一日中J-WAVEが流れており、シカオちゃんはラジオ番組もトークが面白く、みんなのお気に入りだった。J-WAVEでかかる曲は、洋楽・邦楽問わずどれも気に入ってはCDを買いまくっていた。以前も書いたように、キリンジは当時好きになれなかったが、のちに和解を果たしている。

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同僚デザイナーたちと、2001年のサマーソニック1日目にも参加した。同僚たちはヘッドライナーのベックとプライマル・スクリームが目当てだったが、自分はインドアステージのAIR(エール)SOULWAXソウルワックスが見たくて来て、どちらも最高のステージだった。プライマルのステージがそろそろ始まるというので着いていったら、開始直後にモッシュ&ダイブの波が襲ってきた拍子に、なんと財布を落としてしまった。翌日キャッシュカード類を即停止させ、戻ってくるのを諦めかけていたが、財布内に入っていた名刺から会社宛てに拾得の連絡がきたが、モッシュ&ダイブで踏んづけられて見るも無残にぶっ壊れて、ボロボロになって帰ってきた……大事にしてたゴルチエの財布が~。なので、プライマルのあの曲を聴くとあの時のトラウマが蘇ってくる。プライマルのばか!

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00年代は友人たちの影響もあって、テクノやエレクトロばかり聴いてたような気がする。石野卓球主催のWIREにも何度か通ったり、FROGMAN RECORDS主催のオールナイトにも行った。KAGAMIも亡くなってもう11年になるのか……。

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(リンク先18禁注意)上司がこの漫画いいよ、と貸してくれたエロマンガ米倉けんごの「エヴァーグリーン」。なぜ女子の自分にエロマンガを……と疑問だったが、絵が超絶うまくて、エロマンガというよりも切ない青春ラブストーリーで、刹那的なエロなのに印象深くココロに残り、とても面白かった。「なまら(とても、すごく)気持ちいい」のセリフで北海道弁を覚えた。上司は北海道出身で、このへんが特に刺さったのかな。このあと二次元エロ本を作る会社へ転職し、この作家の別のエロマンガ(淫笑う看護婦)が資料棚にあり、名作だと知る。どうやら最近になって新装版が出たようで、今度また読み返してみたい。

 

千葉の実家から田町へ通勤するのはよくても、帰りはほとんど終電もしくは徹夜でタクシー帰りの生活が厳しくなってきたので、ついに実家から出て、タクシー通勤手当範囲内の武蔵小山ワンルームのマンションを借り、一人暮らしを始めた。ムサコは品川と目黒の境目にある街で、住所が目黒区なのが都会人の仲間入りできたようで嬉しかった。野良の黒猫がベランダに出入りしてきて、黒いから「ロデム」と名付けて世話をした。ある日、ベッドにおしっこされて怒ったら、もう家に来なくなってしまった。

2003年秋、仕事に限界を感じ、広告デザイン会社を辞めた。数ヶ月間、失業手当をもらいにハローワークへ通いつつ、職のあてもないまま昼起きて朝寝るPSO廃人しつつ自宅のeMacふたば☆ちゃんねるの虹裏に入り浸る、爛れた生活を送っていた。翌年春、めでたく次の転職先が決まったが、新職場からは遠距離になり貯金も尽きたため、2年目の更新をせずに千葉の実家へ戻った。わずか2年足らずの一人暮らしライフだったが、人生で一度くらいは一人暮らしをしたかったから、感無量だった。

 

自分は一体誰に、何者になりたかったのだろうか?

90年代と00年代、いずれの職場も人の回転が極端に激しく、先輩や同期、後輩たちも次々と辞めていった。故郷へ帰るために、別の道へ進むために、心身を壊したために……中には夢を追い続け、有名な売れっ子少女漫画家になったり、大手ホビーメーカーの社長になったり、本職とは異なる異業種へ転向、成功した同僚たちもいた。

90年代は憧れの世界があったが、00年代は一体何に憧れ、誰に、何者になりたかったのか? いま振り返ると、社員旅行でサイパンや長野のスキー場へ行ったり、忘年会はふぐ料理店で豪華景品ビンゴをやったり、外部の大手出版社の忘年会で超大物漫画家先生たちとどんちゃん騒ぎしたりして、なんだか遅れてきたバブルみたいだった。バブル世代でないし、実際のバブルでないけど、自分にとってのバブルな世界がそこにあった。広告業界という綺羅びやかでバブリーな世界や周囲にただ流され、浮かれていただけかもしれない。映画でも、テレビの映像制作業界の煌めく世界と、忙殺され自己喪失になる現実とのギャップの憤りが描かれていた。ビルの非常階段の喫煙所で、同僚とタバコをふかしながら「お前、これからどうするよ?」みたいな、あの感じ。元喫煙者ゆえに、わかりすぎる。

 

2004年、現職へ転職した。ゲーム雑誌を2冊ほど作っていて、うち1冊のデザインをしつつ二次元系エロ本も作ったりした。前職2社とも昼~夕方出勤は当たり前の職場だったので、朝の定時に社員がちゃんと全員出勤していて軽くカルチャーショックを受けた。

入社して間もない誕生日の朝、電車に駆け込み乗車したら、思いっきり転んで電車のドアの縁に頭をぶつけて、痛みに耐えながら出社してトイレへ駆け込み頭を見ると、左頭上がパックリ割れて出血していた。近所の外科医へ診察したら、10針縫う大怪我だった。入社して即労災適用の洗礼。しかも誕生日に……傷跡からはもう髪が生えてこなくなり、毛も真っ白になった。

自分より一足先に入社したYくんがゲーム誌の編集長に就任し、目まぐるしい人事回転で互いにひとり部署になるなど悪戦苦闘しつつ、なぜかフトしたきっかけで読者コーナー担当になった。その後休刊しては新しいゲーム誌を創刊して、また休刊して……を繰り返して、Yくんの退職後もほんの少し続いたが、2017年、ゲームの仕事はすべて終わってしまった。

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終わってみてから、ひとつ思い出したことがあった。幼少期、ゲーム雑誌からゲーム攻略本、一般誌のゲーム特集まで、とにかくゲームにまつわる本が好きだった。小中高に渡っていろんなゲーム雑誌を購読していて、特に好きだったのが「Theスーパーファミコンこと、Theスーファミ

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たぶんこの号の特集、切り抜きでまだ持ってるかも……独特な切り口の特集ページやイマジニアズームのマスコットキャラ・ドラッキーのNECOまんががとても面白くて夢中になり、イラスト投稿もしまくって、何度か採用されてドラッキーグッズをもらったりした。ドラッキーがまさかのゲーム化したときは驚いた。

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ホンダべるの(くしだナム子)さんの読者コーナーでは、「女子ゲーマーはフツーの女の子みたいにオシャレすべきか?」など、リアルな女子ゲーマーの本音や意見を熱心に語り合い、女子ゲーマーに親身に寄り添うホンダべるのさんのような、読者コーナーのお姉さんに憧れて……つまり、長年の夢がいつの間にか、叶ってしまった。というかもう叶ってた。願わくば、ゲームの仕事をできていた間に、憧れのホンダべるのさんにお目にかかって御礼を言いたかったが、それは叶わぬ夢になった。

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男社会なゲーム誌業界の中、長年活躍して、別ジャンルの自動車業界でも活動していて、今でもステキで、ずっと憧れの女性ゲームライターだ。

いままでの生き方よりも、これからの生き方を考えたい

長々と語ってきたが、幼少期の夢は叶えられても、映画の主人公のように、結局自分はフツーじゃない何者かになれないままただ齢を取り、疲れを知らない万能感にあふれる若い頃は、周りの影響を受けすぎてほんの少しトガッていた程度で、そこらへんの、どこの誰にでもよくあるような人生の轍を踏んでいたに過ぎなかったと思い知らされる。

とはいえ、何者かになれなかったのは自分だけでなく、人生の岐路において自分が踏み台にしてきたり、若くして志半ばで夭折した同志たちがいて、いまの自分が在るのだと気付かされた。

新卒で編プロに就職した際、デザイン専門学校の友人女子が、実は同じ編プロに応募して書類選考で落ちたのを、あとで本人から聞かされた。彼女とは疎遠になってしまったが、その後彼女はデザインとは無縁の業務に就いている。

現職では、二人の仕事仲間が病気や事故で若くして亡くなった。うち一人は、生前中に自分の著書を出したかったのだが、残念ながら叶わず、ある日突然事故でこの世を去ってしまった。のちに彼の無念を晴らそうと遺稿の出版を実現させたが、本来ならば生きているうちに、夢を叶えてあげたかった。今でも悔やんでも悔やみきれない。

 

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再びスガシカオの話題になるが、以前「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演した時、こんな話をしていて、深く印象に残った。

スガ自身も「誰かの心に言葉を残したい」という思いから、以前は高校教師になることを夢みていた。その夢はかなわなかったが、同じ思いを実現するために、今はシンガーソングライターとなった。スガにとって「夢」とは、職業の名前ではなく、どんなことを実現したいかだ。
『夢って、例えばパティシエとかパイロットとかは職業の名前であって、自分が生きていく道の名前じゃない。どういう風に生きていくかってことが本当の夢の正体だと思って。シンガーソングライターも誰かの言葉を伝えるっていう意味では教師と同じ。職業ではなく、そこを達成させるために自分の人生がある』。

自分の場合、ゲームが大好きで、ゲームに寄り添って生きるのが、夢のひとつだ。職業的には終わってしまった夢だが、社会人人生の中で携わった時間がもっとも長く、もう十分に役目を果たしてきたと自負するから、次はもっともっと私的に、ゲームと寄り添って生きてゆきたい。こうしてゲーオタブログを書くのも、ポッドキャストでオタトークするのも、この夢の一部だ。

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90年代と00年代。あの頃、何者にもなれなかった自分を悔やむのは、もうこれを期に終わりにして、あと20数年で定年を迎えようとしているいまは、これからなりたい自分や夢を、衰える心身と相談しつつ、再び見つけにいくことのほうが大事だと思う。

老後の楽しみに積みゲー積ん読しても老眼問題が控えてるし、もはや夜ふかしできる気力体力はないし、筋肉だって落ちてくるし、髪も白くなったり薄くなったり……中年の危機待ったなし! どう足掻いてもしゃーないから、次の楽しいことや夢を、できる範囲で見つけに行こう。自分の場合、やっぱバイクに乗りたいかなー。コロナ禍由来の二輪ブームが来る前に普通二輪MT免許取っておいてよかった。原付でもいいから、絶対に乗るぞー。が、その前に愛車ギアくん初の車検がそろそろだわ。10万くらい飛ぶらしい。ぐえー。

ってな感じで、映画の感想いかがでしょうか?>友人さん いい映画を教えてくれて、ホントありがとう。刺さりました。またいくらでも語り合いましょう。

次回はいよいよ年末恒例エントリー。いくつか書きます。