Read me 激情

しがないゲーオタ女子の真・闇ブログ

昭和50年代生まれゲーオタによる追悼抄

年度末の慌ただしさも相まって、今年度もっとも精神的にエグかった3月が終わろうとしている。おかげでまたもや月末ギリギリ更新になっちゃったけど、書く。

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鳥山明先生が急逝した。スマホにニュース速報の通知が届いた瞬間、「えっ!?」と声を上げてしまった。信じられなくて、あまりにも突然すぎてショックで、それ以上の言葉が出なかった。あらゆる人々の訃報へのコメントを読んでいるうちに、非現実な衝撃が、だんだんと現実的な悲しみの感情へと変わってゆくのがつらかった。大げさかもしれないが、自分の中の一部がゴッソリ欠けたような寂寥感だった。

まるで虫の知らせのようだが、実は訃報のつい数日前、思うところがあり、実家に置いてある「鳥山明のヘタッピマンガ研究所」を読み返そうかなーと思っていた矢先だった。

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マンガの基本中の基本が、非常に分かりやすく描かれており、投稿者の作品の悪い点も良い点も丁寧に解説している、すばらしいマンガ入門書だ。

漫画家指南書の名著である「手塚治虫のマンガの描き方」も読んでいるが、こちらはテキストベースの学術書や新書のような内容で、これはこれでマンガの神様的視点として参考にはなるものの、実用的ではないというか、鳥山明のヘタッピマンガ研究所は読者=マンガ初心者視点の、マンガのシンプルな記号化があまりにもうますぎて、アドバイスの一つ一つがずっと記憶に残り続けてる。参考例をもとに、こんなふうに楽しくマンガが描けたらいいなと読者に思わせてくれるのは、ヘタッピマンガ研究所のほうが圧倒的に上なのだ。

うまい絵の描き方は、今は絵のうまい人がたくさんいるし継承されやすいし、技術も残せるが、独学研究のうまいマンガの描き方は、漫画界に突然変異のように登場した鳥山明先生のようなマンガの超絶うまい人が、こうして書物にして残したり直に教えたりしないと、正しく継承されないのではないだろうか。最近ニュースで、「北斗の拳」の武論尊先生が故郷の長野で漫画塾を開設したのを知って、より実感した。

f:id:macgirl360:20240326145653j:image自分にとって、もっとも思い入れのある鳥山明漫画作品は、なんといってもDr.スランプだ。家にある、Dr.スランプなものを探した。古いアルバムから、幼稚園時代のスナップ写真。見切れてる幼稚園児が自分。きょうのおとうばん、今見るとどのキャラが何の当番の割り当てだかさっぱり不明だが(お掃除や挨拶号令などの日直的活動と思われる)、自分たちの自画像カードと、先生が描いたアラレ絵は鮮烈に覚えてる。
写真に年月が印字されていないため、アルバムの時系列から推測するしかないのだが、幼稚園の入園が1980年(昭和55年)で、入園記念写真のページに貼られており、おそらく同年から翌年1981年にかけて撮影されたものと思われる。漫画は1980年に連載開始、翌年1981年4月にアニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」がスタート。幼稚園の教育現場にまでアラレちゃんが入ってきているから、やはりアニメスタート後あたりに撮られたのかも。当時の大人たちは、乳幼児にとってのドラえもんアンパンマンのように、Dr.スランプを子どもたちが好きで喜ぶものを与えてくれていたのだ。自分の幼少期はDr.スランプがすぐ身近にあり、Dr.スランプとともに育てられた。ちなみに昔の家には、アラレちゃんのドンジャラもあった。うちのドンジャラドラえもんでなく、アラレちゃん。お日さまがオールマイティー牌なんだよね。
f:id:macgirl360:20240326145649j:image作業部屋にあるお気に入りのコースターは、2017年開催の「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展 VOL.1 創刊〜1980年代」で購入したグッズ。Dr.スランプのワクワクする扉絵は、読んでいた頃の思い出とセットになるほど思い入れが強いため、迷わず買った。

Dr.スランプは名作で新装版も出てるし、当時のジャンプ・コミックスも全巻セットで比較的手に入りやすいだろうし、いつかまた読み返したいからそのうち近々買おう……と思ってたら、こんな事態に。現在オークションサイトではベラボーな値段で売られており、転売屋の餌食となっている。

電子版のDr.スランプを試し読みしたら、黒人や原住民描写などの人種差別的表現に修正が加わっていたり、著作権侵害表現を事後許諾でクリアにしたため、ウルトラマンの描かれたコマの欄外に「©️円谷プロ」とキャプションが入っていたり、こりゃ無改変の単行本版で読みたいわ……となった。後世にも作品を伝えるためには、現代の解釈で改変するのも致し方ないけど、こればっかりは自分の記憶の中のコマと改変のギャップが大きすぎてダメだ。うーん、こんなことならもうちょい早くに買っておけばよかった。単行本でしか載ってないとりやま放送局がまた読みたいよ〜!

ドラゴンボールは完全版を全巻揃えており、最近も弟家の小学生の甥姪らに貸し出していた。子どもたち、すさまじいスピードで完読してたね……。ドラゴンボール完全版は、大好きで憧れのデザイナー・島田英明氏の装丁デザインだし、描き下ろし表紙や巻頭カラー絵が見たくて、新刊が出たらすぐに買っていた。受けた影響は、幼少期の原体験もありDr.スランプのほうが強烈なのだが、ドラゴンボールも大人になり改めて通して読むと、めちゃんこオモロイし、たしかに漫画の歴史や世界中の人類の人生すらも大きく変えた、とても偉大な漫画だ。

ところで、鳥山明先生逝去の流れからマカロニほうれん荘の作者・鴨川つばめ先生への再評価の話題も出てきたので、自分にとって絶大な影響を受けた、ふたりの大天才漫画家先生とその想いを、この期に文章化しておきたい。
上記の幼稚園写真の頃、幼少期にDr.スランプマカロニほうれん荘を、いずれも単行本カバーが行方不明のまま擦り切れるほど読み、なんやかんやで単行本は手放してしまったあと、学生〜成人社会人後、マカロニほうれん荘はわりと早い時期に書店や古本屋を巡り(続編の「マカロニ2」を含む)、再び収集した。愛蔵版も買ったが、あの素晴らしい扉絵が省略されていたのですぐに手放した。

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2018年の原画展レポート。読み返したところ、会場で流れていた鴨川先生みずから選曲のプレイリストを作成しようとしていたのにすっかり失念していたから、勢いに任せてSpotifyで作ってみた。以前も有志で作られてたっぽいが、検索したら消えてるようなので、作っておいてよかった。ほぼ全曲HM/HRばかりで個人的には聴き馴染みが薄いが、スコットランド出身でケルトニューウェーブ色の強いBig Country(ビッグ・カントリー)の「In A Big Country」が入ってたりと、鴨川先生はブリティッシュ・ロック全般が好きなのだと、その音楽趣向の広さに改めて関心した。Spotifyユーザーの方は、よかったら聴いてみてほしい。

open.spotify.com

鴨川先生、原画展を開くほどご健在だけど、表舞台へ新作を発表することもなく、完全に隠居状態だし、もし鴨川つばめ先生が亡くなられたら、きっと鳥山明先生を失ったときと同じ想いを繰り返すのだろうと、いつか訪れるその日への想いが去来する。

前述の過去エントリでも、マカロニほうれん荘の魅力について綴られていて、補足すると、はちゃめちゃドタバタなギャグ漫画を通じて音楽や特撮、映画、ミリタリー、ファッション、アートなど、子どもにとって未知のオトナ文化に触れる、初めての機会だった。同時期に、幼稚園へ登園する前に夢中で見ていた「ひらけ!ポンキッキ」で流れるビートルズやオールディーズの洋楽に生まれて初めて触れたように、マカロニほうれん荘はあらゆるごった煮カルチャーを自分に初めて教えてくれた、文化の教科書のような存在だ。ただ、読者世代の違いもあり、一緒に読んでいた家族や親族以外で、マカロニほうれん荘を語り合える同世代や仲間が周囲では皆無で、ネットを始めるまでオタク趣味を共有する機会も一切なかったため、自分の中でマカロニほうれん荘は、自分しか知らない、密かに愛する世界=サブカルチャーとして、長年位置づけられていた。
つまり、自分にとって鳥山明先生はメジャーでメインカルチャー鴨川つばめ先生はマイナーでサブカルチャーであり、こじらせ思春期あたりで後者の道を選んでしまったため、どちらかというと鴨川つばめ信者寄りになってしまった。ドラゴンボール完全版を読み返してみて、メジャーすぎるものに背を向けて生きてきた過去のサブカルな自分を、今しがた自省していたところもあり、鳥山明先生への喪失感がハンパない。両名とも自分にとって、超絶大事な位置にいる漫画家なのだと改めて再確認しまくっている。この確認作業をもって、哀悼の意を表したい。

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最後にゲーム方面の鳥山明語りを。ドラクエシリーズを目いっぱい楽しむ様子を、過去にもしっかり記録していた。自分とドラクエの出会いはⅠからで、ジャンプのファミコン神拳ドラクエが発表会された際は「鳥山明キャラデザのゲームが出る!」と興奮した。Ⅲに至っては、近所の家電屋(今は亡きおかじま電器)の予約整理券の番号が3500番代だったのを覚えている。その後、デザイン専門学校卒業後の就職活動で求人票を眺めていたら、かつてエニックスが出版した「ドラゴンクエスト公式ガイドブック」を編集制作した編集プロダクションの名前を見つけた。

www.dragonquest.jp

Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの3冊を横に並べるとロトの剣が完成する装丁の、ゲームの公式ガイドブックの先駆け的存在で、モンスターや武器・防具のイラストや情報に胸をときめかせ、製本が剥がれ落ちるほど何度も何度も読みかえした、あの憧れの公式ガイドブックを作った会社……! と、迷わず求人応募した。結果採用され新卒入社、オタク系デザイナーとして現在に至る。今も昔も、自分の人生の道標を作ってくれたのは、間違いなくドラクエであった。もし鳥山明ドラクエに関わっていなかったら、ドラクエは遊んでいても、まったく違う人生を歩んでいたかも。

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これはあくまで自分の中で、正統ナンバリングタイトルにおける話だが、『ファイナルファンタジー』シリーズは、初代オリジナルを制作したスタッフがいなくても、スクエニスタッフの誰が作っても『FF』になるだろうけど、『ドラクエ』は堀井雄二鳥山明すぎやまこういちの三つの才能のうち、どれかひとつでも欠けてしまったら、それはもう『DQ』ではない別物であると考えている。そして、これがドラクエの作家性なのだと思う。ドラクエはナンバリング以外の派生シリーズも多数出ていて、各シリーズのスタッフがドラクエワールドを継承、展開しているが、ある時ふと気づいてしまった。あと何作、ナンバリングのドラクエを遊べるのだろう?

以前、こんなエントリを書いた。かねてより懸念していたドラクエナンバリング完結問題〟。2021年にはすぎやまこういち先生も逝かれて、そして鳥山明先生も……いよいよ、ついに現実化してしまった。現在制作中のドラクエ12が、真の意味で最期のドラクエになってしまう。立て続けにふたりを失ったゆうぼんの悲しみは、到底計り知れない。

corp.marv.jp

先日、北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』のリメイク版が今夏発売と、突如発表され、胸が躍った。ゆうぼん監修の完全新作ストーリーも収録されるというから、これは絶対にやるしかない。自分勝手な気遣いだが、ゆうぼんも長い間ドラクエを作り続けてシリーズを牽引し続けてくれたし、いったんドラクエから離れて、今回のオホーツクに消ゆみたいに、自由にドラクエ以外のゲームを作ったり、心残りなことにそろそろ専念してもらっていいんだよ、と願っている。ドラクエは3代巨匠の手がける正統シリーズとしては終わっても、その魂は継承され、ドラクエシリーズは永遠に続くだろうから。

そしてゆうぼんにおいては、月刊OUTのあの公約を実行してもらうためにも、少なくともあと18年、末長くお達者でいてほしい次第。

radiko.jp

もしタイムフリーに間に合うのであれば、訃報から2日後に収録されたマシリト氏のラジオも、ぜひ聴いてほしい。書き起こし禁止のため、内容の詳細は避けるが、番組最後のマシリト氏の鳥山先生へ寄せたコメントが、別れの寂しさだけでない、時代の終わりでもない、新しい時代の始まりを予感させる、前向きな気持ちになれた。ふたりの関係は、さらなる強さを求め続ける、まさに悟空のようだと思った。


鳥山明急逝から間もなくして、小説ドラクエの挿絵を描いたイラストレーター・いのまたむつみ、「ちびまる子ちゃん」の声優・TARAKOと、まさかの訃報続きで静かに心が削れた。昭和50年代生まれ。あの時代を生きた子どもたちが、すごいクリエイターたちのすごい作品とともに成長して大人になり、旅立ちを見送る世代となってしまったが、彼らと同じ時代を生きられたことに、心から感謝したい。