Read me 激情

しがないゲーオタ女子の真・闇ブログ

捨てる神あれば拾われる金魚もあり

シルバーウィーク、3連休はあと少しでクリアできそうなスイッチ版ファミ探(うしろに立つ少女)をやり遂げるぞー! と意気込んでいたが、結局プレイできずに連休は過き去ってしまった。今月分エントリに感想など書きたかったのに……と残念がっていたら、昨日、ちょっと思わぬ出来事に遭遇したので、急遽こっちを書くことにした。

 * * *

ジム休館の毎週火曜に、朝ウォーキングを6キロほどこなしていて、昨日の火曜はいつも通りのコースを歩くつもりだった。しかし途中で急用を思い出し、早めに戻るため時間短縮ルートに変えようと、公園のウォーキングコースへ入ったら……f:id:macgirl360:20210921164256j:image
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ゴミ集積スペースの水たまりに、金魚が捨ててあった。

しかもご丁寧に、ブロック石に書き置きまである。日付からして、どうやら先月からここに捨てられたようで、コロナ感染拡大や猛暑もあり、夏の間しばらく朝ウォーキングも自粛して、ここ数ヶ月は公園にも足を運んでいなかったので、初めて気づいた。書き置きはA、Bと2ヵ所のゴミ集積スペースに配置してあった。仕切りにある通行穴を金魚が出入りして、一見広い水槽で優雅に泳いでいるようにも見えるが、周囲には3連休で発生したBBQゴミが散乱していて、水たまりには油が浮き、水は消し炭や泥で汚れていた。
「可愛がってネ」じゃねーよ!! ここはゴミ捨て場で家じゃねーし、ペットの遺棄は犯罪だぞ!!!! キンギョ、ステル。オレ、ニンゲン……ユルサナイ……!

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うちで縁日の金魚を迎えて早3年、思いもよらぬ人間の悪びれない悪意を目にしてしまい、とても悲しくなった。コロナ禍で昨年あたりからメダカや金魚ブームが到来しているようだが、手に余り飼いきれなくなって、わざわざメッセージ入りブロック石まで用意して運んでここへ捨てていったのだろうか。コロナで命を大切にしましょう、とか言いつつも、安易なペットブームが巻き起こす動物たちの悲劇が耐えないのがつらい。酷いことをする無責任な飼い主に腹が立って仕方ないが、そのまま放っておけないので、ひとまず家に戻って急用を済ませ、金魚保護の支度をしてクルマで出直してきた。
f:id:macgirl360:20210921164303j:imageキャンプ用の給水ボトルにカルキ抜き水を入れ、網で釣り上げた。こんな局面で、以前中止になったキャンプのため用意していた給水ボトルが役に立とうとは。ちょうどいいサイズ感。劣悪な水環境のわりには、金魚はなかなか威勢がよく元気で、意外とすばしっこくて捕まえるのがちょう大変だった……。連休中に少し遊んだスイッチ版『あつまれ!金魚すくいのように、大量かつスムーズに金魚ゲットできないのがもどかしかった。なお当ゲームでは外来種のほか、アマビエも釣れる。

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ムカつく書き置きブロック石で通行穴を塞ぎ、片側スペースの隅まで追い詰めて、汗だくになりながらやっと全員確保、保護した。ちょっと太っちょで柄ありが5匹、その他は赤ちゃん和金の、計15匹。金魚すくい中、通りすがりの子連れのママに声をかけられ、昨日ここで初めて捨て金魚を見かけたが、家では飼えないので誰か優しい人にもらわれるよう心配していたらしく、とても感謝された。

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家に戻り、体を洗って塩浴させた。水の突然の変化にビックリして何匹か死んでしまう覚悟もしていたが、今のところ15匹ともみな元気だ。しかし水槽に入れるとすっごい数だわ……フンが、フンがすげえ! あっという間に水が汚れる。また水換えしなければ。ごはん要求がすごいが、落ち着くまでは絶食。急な新顔たちが気になって、隣の水槽のちび金魚がソワソワしてる。

悪質な水でかつブクブクもエサもなく、大雨まで降ったのに、よくもまあこの真夏の1ヶ月を乗り越えて生還してたなぁ。微生物やボウフラでも食べて生きていた、わりとタフな精鋭たち? もしかしたら出会う前に何匹か死に絶えてしまったのかもしれないが、死骸らしきものは特に見当たらなかった。カラスや海鳥が食べて処理したのかな。

公園の近くに海があるんだから、海へ捨てる=海魚のエサにする選択肢だってあったはずなのに、なぜゴミ捨て場の水溜まりへ? 残酷で無責任な飼い主でも良心の呵責を抱いていたのだろうか……もう、どうでもいいや。

綺麗事でたかが人間のエゴでしかないが、あそこで汚水の中、誰かの救いを待ちながら野垂れ死んでしまうより、うちでお迎えして然るべきケアを施したのちに死んでしまうほうが、金魚たち的にはきっと遥かに幸せだと、勝手に願ってる。エサも赤虫まであるし、先代たちが眠る墓も付いてる良物件だよ!

 

f:id:macgirl360:20210922134837j:image実は、この夏に金魚釣り堀で釣ってお迎えした子ども金魚3匹(体の大きさから大中小と命名)が、お迎え直後に1匹(大)、つい先日にもう1匹(中)天に召されてしまい、最後に1匹だけ小がポツンと残ってしまった。写真は塩浴中でまだ生きてた時の中ちゃん。がらんとした水槽が寂しげで、またどこかで新しい金魚をお迎えしようかな……と思った矢先の出会いだった。

朝ウォーキングのコースを急遽変えたのも、偶然の出来事だったし、いつも通りのルートを歩いていたら、捨て金魚たちとは出会わなかったかもしれない。

コレってつまり、何かしらの縁だと思う。金魚飼いは金魚と惹かれ合う……ってほど金魚マニアではないが、リビングで小さな命の成長を眺めるのは癒しでもあり、救い、または願いや祈りでもある。金魚は水質や病気でコロっと逝ってしまいがちで、いつかはお別れも来てしまうし、こう言ってはナンだが、長生きする毛の生えた生き物系(哺乳類)よりペットロスは比較的軽くて、こちらのライフスタイルに合わせられるから、付き合いやすい。あとお墓がすぐ作れる庭付き物件でよかった。

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金魚の不法投棄で検索したら出てきた、最近の海外ニュース。めちゃデカい。金魚は水槽の大きさに合わせて成長するのが定説かと思っていたが、水質も影響するのかー。3年前お迎えした縁日金魚2匹、あんな小さかったのが3年で体長15センチほどの大きさに。これ以上成長すると水槽で身動き取れなくなりそう。かと言って水槽をデカくするほどのキャパが我が家にはない。

 

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けさの様子。塩浴2日目、水換えしてバクテリアも追加した。朝起きたら1匹くらいは死んでるかも、と思ったが、全然元気でまだフンが出る。まじで何食って生きてきたんだ……。さて、塩浴が落ち着いたあと、これからこの子らをどうしようか。弟家でも金魚を飼っているがウーパールーパーもいて現在は水槽が満杯らしい。

そういえば実家母が、どこかでお古の水槽を調達したばかりで、いずれ金魚でも飼おうかなーと話していた。さっき連絡したら、喜んでいただくと快諾された。よかった……! 塩浴が落ち着き次第、譲渡会する予定。うちには5匹残し、実家へは10匹あげることに。

昔子どもの頃、縁日や金魚屋の金魚を飼っていたことがあり、我々が自立したあとも母が大事に育てあげ、15年近く長生きしていた。実家のは相当大きい水槽みたいだし、だいぶ大きく元気に育ってくれるのでは? 実家金魚の成長も、楽しみのひとつになるといいな。

 

そんな感じで、きょうもなんとか生きてます。あ、この夏の間に、ついにワクチンも2回打ったよ! 金魚たちのためにも、がんばって生き続けねば。

Read me 90年代カルチャーと人生

近頃、90年代カルチャーの話題を何かと見かけるようになった。90年代に青春時代をすごした自分も、あの時あの時代、そして触れてきた90年代カルチャーについて、人生の記録のひとつとしてブログに残したくなり、ほんの少し勇気を出して、書こうと思う。自分のことを古くから知っている人にも、ほとんど話したことがないかも。本件に関しては、くれぐれも関係者に直接問い合わせなどしないようお願いしたい。自分もなにか聞かれてもノーコメントです。ま、そういうことが昔々にありましたよー程度に収めてもらえれば。


* * *

1995年。デザイン専門学校を卒業し、オタク系編プロの女性だけの新設デザイン部署スタッフとして入社した。同期の女子デザイナーたちとは、入社前の研修期間から気が合って仲良くなり、忙しくも楽しい新社会人生活を送っていた。

ところが、入社して数ヶ月目、仕事で大きな失敗をしてしまって以降、同期で年上のチーフを中心に職場で無視されて、仕事も回してもらえず仲間外れに……いわゆる職場いじめに遭った。未熟な自分の失敗へのアフターフォローが良くなかったのかもしれないが、「よくも私に恥をかかせたね。もうお前と仕事したくない!」みたいに罵倒されたのを覚えている。デザイン部署は本社屋から離れたテナントにあり、時折訪れる編集スタッフからも特に気づかれず、完全に離れ小島で孤立していた。女子校のいじめってこんな感じで陰湿なのかな……と、共学出身の自分は思った。同期チーフたちがキャイキャイ楽しく騒ぐ陰で、悔しくて悲しくて、涙ぐみながら仕事していた。

毎日がつらすぎて、もう会社を辞めようかと思った矢先、本社の社長から、総務付けの新設デザイン部(という名のひとり部署)への異動を命じられた。今振り返れば、たぶん同期チーフが社長へ「アイツいらねーから、クビにするか左遷しちゃって」と頼んだのかもしれない。文字通りひとりぼっちになってしまったが、別部署の先輩DTPデザイナーたちの仕事をお手伝いしつつ、当時黎明期真っ只中だったMac DTPデザインの最前線の現場を、まだアナログデザインが主流だった女子デザイン部よりも先に体験し、経験値を積むことができた。なによりも、陰湿な同期チーフたちからも距離を取れたのが本当によかった。
ひとりぼっち部署だったのが、編集部から異動してきた先輩がトップになり、編集希望の見習いアルバイトが何人も出入りし、いわゆるファミ通編集部でいうところの「スラム」のように、そこから編集部門へ昇格するなど、最終的には数十名の大きなマルチ業務部署に成長した。デザイン課の自分にも、何名か優秀な後輩ができたのが嬉しかった。
2001年に編プロを退職するまで、様々な仕事をしてきたが、ひとり部署駆け出しの97年にやったコレが特に印象深くて大変だった。映画『ファイナルファンタジー』制作のため、スクウェアのホノルルスタジオへ移籍する金田さんの壮行会的に、アニメーター有志で原画集を作ることになり、なぜか下っ端の自分にデザイン仕事が回ってきた。劣化で今にもボロボロに破れそうな大変貴重な作画を、手作業で1枚1枚スキャン~リタッチ、レイアウトした。ロボットアニメに疎かった当時、金田さんがどれほどスゴい人なのかをイマイチよく知らず、担当編集から「ど根性ガエル」の原画をやっていた人ですよ! と説明され、畏れ多くもそのすごさをやっと理解した。これらの業務をこなしながら、アニメの歴史を自ずとイチから勉強して、オタクの基礎知識を蓄積できたのがよかった。

yasushikun.exblog.jp

www.mandarake.co.jp


編プロ退職後、広告デザイン会社へ転職し、粗削りで付け焼き刃なデザイン技術を改め、イチから修業を積み直すような仕事はキツかったが、大好きなマンガの装丁を何冊も手掛けられて、同年代の同僚仲間たちとも、まるで部活動のようにオンオフ問わず仲良くできて、とても楽しかった。2004年に転職した現職では、すったもんだがありつつも、同僚たちや仕事にも恵まれて、今に至っている。なんだかんだで、今年でデザイナー歴26年目になった(ひえー)。

職場いじめしていた同期チーフらが、その後どうなったのかは知らないまま。自分が退職するまでの間、社内ですれ違っても一切会話をしなかったし、OB編集たちからも特に話題を訊かなかった。風のうわさでは、自分が世話になった先輩デザイナーとデザインユニットを組んでフリーになったそうだが……名前をググっても、それらしい案件は特に出てこなかった。少なくとも、同じオタク業界にはいないのかもしれない。

* * *

……ここまでの話だと、ただそこらにあるどうってことない、90年代デザイナー駆け出し昔話にしかすぎないのだが、自分をいじめていた同期チーフたち(以下、彼女ら)が、渋谷系サブカルにどっぷりハマっていたサブカル系人間で、1995年の職場には、渋谷系サブカルが溢れかえっていた。

 

macgirl360.hatenablog.com

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過去エントリだと、ちょうどこのへんで書いてるあたり。当時の写真も参考にしつつ。彼女らは、CUTiEやZipperに掲載されているような原宿系ブランド服を身にまとい、職場ではキモかわいいアメトイを机に飾り、モンド映画のポスターやフライヤーを壁に貼り、ガロなどのカルト漫画を読み、ラジカセで渋谷系音楽CDをかけまくっていて……どこまでもオシャレでキラキラした、渋谷系サブカルだった。
デザイン専門学校を卒業したての、ゲームオタクで地味で朴訥な自分は、とてつもない衝撃を受けた。都内の学校に通っていたとはいえ、こういうオシャレな人種は専門学校にはいなかったからだ。彼女らの影響を目いっぱい受けまくり、ある意味、社会人デビューした。

ノーブランドなファッションも、給与の一部はヒステリック・グラマーやオゾン・コミュニティ、ベティーズ・ブルー、スーパーラヴァーズなどのカワイイ原宿系服とハイテクスニーカーに変わり、音楽は彼女らが職場でよくかけていた洋楽やトラットリア・レコードのコンピCDを気に入っていた。

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映画はシネマライズ新宿武蔵野館BOX東中野などのミニシアター系映画館に通ったり、同期からVHSで借りたアップリンクモンド映画「ヴェガス・イン・スペース」に衝撃を受けた。ジェーン・フォンダSF映画「バーバレラ」にインスパイアされたマニアックなドラァグ・クィーン映画だが、いまだにDVD化しておらず、ネットで予告編を見るしか再見の機会がない。

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ヒステリック・グラマーのデザインモチーフとしても使われている、ラス・メイヤー監督のカルトな巨乳エロス&バイオレンス映画にもハマった。「ファスター・プッシーキャット!キル!キル!(Faster, Pussycat! Kill! Kill!)」、「女豹ビクセン」のヴィクセンシリーズが好きで、こういうエロカッコいい女子になりたいと憧れていた。いまの現職が「闘うヒロイン陵辱」をテーマにしているのは何らかの縁を感じるが、ただの偶然や気のせいかも。

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編プロで部署異動後に従事した先輩男性デザイナーも超サブカルな人で、先輩の机の上に置いてあった「クイック・ジャパン」や「危ない1号」を、こっそり読んでみたら、記事内容に大変ショックを受けた。これらのサブカル雑誌がきっかけでゴミ漁りや特殊性癖、死体写真収集などの悪趣味ワールドがあるのを初めて知ったのだが、ただ刹那的でセンセーショナルなだけの悪趣味サブカルは、結局自分には何も残さず通過してしまった。ただクイック・ジャパンで天才・中村一義を知ることができたのは大収穫だった。同じ江戸川区出身の同年代なので、今でも応援している。

自分は中高~専門学校に孤独なオタク時代を過ごし、友人は数名いても、常にひとりで密かに楽しんでいたゲームや音楽、漫画のオタク趣味を、誰かと共有する機会が一切なかった。ゆえに、就職してから出会った、自身のオシャレな趣味嗜好を自己主張のように誰かと共有するのが前提の90年代渋谷系サブカルは、衝撃以前にカルチャーショックだった。26年経った今でも影響は残っているが、ファッションは年齢や体型、趣向の変化でもうブランド品は買わなくなり、20年以上着ているヒスグラのTシャツ数枚が残っているだけ。映画もかつて通ったミニシアターが閉館してしまい、サブスクで観るのが主流で映画館へひとりで観に行く機会すらなくなってしまった。音楽方面では、職場で聴かされた渋谷系裏原宿楽曲は当時さほど好みでなく、いまサブスク配信で改めて聴き直してみて、名曲だったのだなーと再確認している。

90年代渋谷系サブカルは、オシャレでキラキラで憧れの世界だったが、自分を陰湿にいじめた彼女らがフラッシュバックして、やはり自分には程遠く縁遠い世界であり続けていたのが、このたびの一連の過去いじめ報道で、イヤでも思い起こされてしまった。渋谷系サブカル側にいた全員がいじめっ子では決してないのだが、渋谷系サブカル人たちにいじめられた当事者としては、今でもよいイメージを持てないままでいる。比較しようがないが、お互い「たった一度の過ちで全否定」されている状況が皮肉だった。

 

このエントリを書き出してしばらく、イヤな動悸がして、やはり自分にとっては最も記憶の奥底にしまっておきたい過去のトラウマだったと再認識した。でもこれを書ききることで、あのとき関わった人間たちや90年代カルチャー、昔の自分のすべてに、ケリをつけられる。いや、今回の件をきっかけに、90年代の過去やカルチャーを省みて、長年放置していた憤りにケリをつけたくて書いている。

部署異動後、同期チーフの旧友関係で入社した女性スタッフがいて、彼女も何らかの仕事ミスで、友人である同期チーフから避けられてしまい、あの子は昔からそういう人間だから……と話していた。自分より少しお姉さんの彼女とは、とても仲良くなった。いまは疎遠になってしまったが、元気にしているだろうか。
昔、仕事面で信頼を失ってしまったことで、同期から村八分にされたのはきっと自分にも負の面もあったのだろう。けれど逆に異動を機に人生逆転劇があり、今でもデザイナーを続けられている。これでおしまいにしたい。


もっと過去を掘り起こしてみて、いじめる側にいなかったかといえば、嘘ではない。中学時代にオタクグループの男子(休み時間にいつも『ロードス島戦記』などのTRPGを遊んでいて、多面体ダイスをたくさん持っていた)がクラス中からいじめられていて、自分は彼の隣席で、どちらかというと彼のそばにいるのがイヤな方だった。ある日突然、彼がキレて机や椅子を投げて反撃して以降、クラス内のいじめはなくなった。そして数年後の成人式、彼は紋付袴をビシッと着て、扇子をあおぎながらオタクグループと共に晴れやかに参列しているのを見かけて、なんだかカッコいいと思った。いじめられっ子だった彼は、成人してとても幸せそうに見えた。

 

誰かから理不尽でつらい仕打ちを受けたら、「私はあいつらよりも、絶対に幸せになってやる!」と決心するようになった。不幸な目に遭った自分が幸せになるのが、最高の報復だからだ。いまはよき友、よき仕事や家族にも恵まれ、(今のところ)まことに幸せな人生を送れている。世間が90年代サブカルで盛り上がってるし、自分のように彼女らもどこかで昔話をしているのだろうか……もう、どうでもいいや。きっといまは、彼女らよりも幸せになっているから。

ブログ爆誕5周年

きょうは七夕。そして初めてのマイブログを開設して5周年になった。5年もブログ書き続けて、しかも毎月必ず1回は更新してる。えっら~~~い!! 1周年の時も書いたが、特に誰も褒めないから自分で自分を褒め……と思いきや、Twitterでお祝いコメントをくれたお友達がいた。ありがとう!
macgirl360.hatenablog.com

ちょっと昔話。ここで記述している、公用IDでひっそり書いてた非公式ブログは、更新停止のまままだ残っているのだが、はてなダイアリーで始めた公式ブログは、はてなブログには移行されず、残念ながら消滅しちゃった。いわゆる大人の事情ってやつですかねー。そのうち消されるのは分かってたから、個人的にアーカイブ化して、時々思い返して読んでる。かつての同僚たちが書いた文章は、もうネット上どこを探しても消失してしまい、読めなくなってしまった。

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自分が作った各種トップバナー。上が公式、下が非公式。公式のはXbox 360のフレンド一覧画面からコラージュして作った。Xbox 360ではフレンドのアバターの横に、プレイ中のタイトルパッケージが見えてたんだよね。アバターをいじってよく遊んでたなぁ。
非公式のは、公式でも使っていたバナーをそのまま流用した。写真はKさんが撮影したスナップ。公式ブログを開設してくれたHさんが「ブログタイトルは『~UG(仮)』にしよう」と、雑誌ロゴ横にみかちゃんフォントで打ち込んだバナーを作っていた。なお「UG」は前身誌の略称でもあり、アングラ=アンダーグラウンドの意味も込められていた。結局公式で(仮)がいつまでも取らないまま更新し続けていたのを継承し、非公式でも「UG(仮)」を拝借させてもらった。
Yくんから、「君も公式ブログでなにかネタを書いてみたら?」と振られて初めて書いたのが2006年で、そこから断続的ではあるが、ブログっぽいものを書き続けてきた。公式で同僚たちが綴ってきた、ゲームと日常を織り交ぜた文章がとても気に入っていて、いつか個人ブログを始めたら、あんな文章を書いてみたいと思っていた。今はそれが叶って、とても嬉しい。

マイブログを5年続けて、その間に朝運動を始めたり、免許を2回取りに行ったり、ポッドキャストを開始したり……たかが5年でもいろいろな出来事やイベントがあって、さほどネタに困ってないかも。最近はネットで見かけたネタのメモ代わりに記事更新している感がある。主にゲームをメインとしていても、その他のジャンルを書いても自由だし、これからも自由気ままに更新していきたい。

ところで先月の記事でも書いたが、最近はYoutubeで昔の古いTV番組を見るのがマイブームで、今日もサムネ&タイトルでピンときた動画を流していたら、この動画に出会った。

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こ、このBGMは!!!!??? もしかして長年ずーーーっと探し続けていた、あの曲では……?
macgirl360.hatenablog.comこのエントリの後半で記述した、夜明け前のレインボーブリッジを眺めながらタクシーのカーラジオで聴いた、あの曲!!

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スウィート・ピープル(Sweet People)の「ツィコ・ツィコに捧げるバラード(Ballade Pour Tsi-Co Tsi-Co)」という曲だった。スイス出身のイージーリスニングのグループで、1981年作。

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アラン・モリゾー(Alain Morisod)の「En flânant。これは別タイトルの同曲なのかな。関係性は分からないが、まさかYoutube内の使用楽曲で判明するとは。

しかしなぜ幼少期に聞き覚えのある曲だったんだろう……と疑問だったが、動画のコメントで、どうやら「ひらけ!ポンキッキ」で、ペギー葉山が子どもへしつけを語るコーナーのBGMに当曲が使われていたらしく、そこで聴いて覚えていたのかもしれない。

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あ~こんなコーナー、あったあった! こちらで使われてるBGMは違う曲だが、スポットコーナーのシブい選曲の洋楽など、ポンキッキの幼い脳裏の刷り込みと影響は改めてすさまじいと思い知った。40ウン年ぶりの邂逅だよ! スウィート・ピープルのアルバムをSpotifyで聴きながら書いてるが、他の曲もムーディーでとてもステキ。懐かしいのに新しい、不思議なメロディー。
こうしてブログで記録していなかったら、気づけなかったかもしれない。いやーブログ万々歳ですな。5周年の本日、自分へのよい記念祝いになった。

誰が読んでるかも分からないRead me 激情。6年目も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。みんなもブログ書き続けましょう!

長年ブレない人はカッコいい

ゲームもアレコレ手を出してて書きたいネタも多々あるが、今回はゲームネタ以外のエントリが書きたい気分なので、書く。

最近のマイブームは、YouTubeで昔のニュース番組やワイドショー総集編などのバラエティ番組を見ること。主に80~90年代あたりの古い番組を探しては、片っ端から見まくってる。懐古趣味というよりも、いまのつらい現実から逃避したくて、ひどかった過去よりもいまの時代のほうがまだマシに感じる要素を探したくて、見ているのかも。

なぜか幼少期から「あの人は今」的な昔の芸能人の現在を追跡する番組が大好きで、昔見ていまだに記憶に残っていた番組がYouTubeにアップされていて、感激した。

www.youtube.com日本テレビ「一億人のラブコール あの人に逢いたい」(1991年放映)という番組だった。ここに出ている「藤正樹」という演歌歌手が、今はゲーム会社に勤務しているとのことで、一体どこのゲームメーカーだったんだろう? とずっと気になって覚えていて、ついに番組動画を発見したので、確認してみた。

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f:id:macgirl360:20210625114717j:plain作業服のロゴから、どうやらシグマ商事という会社で、アーケードゲームスーファミの『摩訶摩訶』などを出してたところだった。背後のシューター系エレメカが気になる……ゲーマー識者ならご存知だろうか。

www.youtube.com
別のあの人は今番組(2000年放映)で、藤正樹のさらにその後が紹介されており、どうやらシグマ商事は退職して、歌舞伎町のスナックに勤務しつつ歌手活動を再開していた。ちなみにこの番組では、おニャン子クラブ全メンバーのその後も紹介していて、取材力がハンパない。ほぼ半数が喫煙脱退後に消息不明だった。

www.youtube.comホリプロ同期会で代表曲を歌う藤正樹(2018年)。「演歌界の怪物ハイセイコー」なんて華々しいキャッチコピーでデビューして以来、トレードマークの紫学ランを着て今でも地道に歌手活動してるそう……じ、人生~。KIRINJI(掘込兄)などゲーム会社出身ミュージシャンはよくいるが、ゲーム会社に勤務してた元演歌歌手なんて、後先にもこの人しかいないんじゃなかろうか。

www.youtube.com昔のワイドショーやマスコミのえげつない報道も大好物で、ひたすら見てる。悪趣味~。そういや写真家の加納典明、当時テレビに出まくっていたけど今はどうしてるんだろう……とググってみたら、現在も写真家を続けていて、近年では画業もやっているらしい。

tenmeikanoh.comあとこれは知らなかったのだが、バイクに造詣が深くて、70歳過ぎた今でも大型バイクに乗りバイク誌に連載を持っていたり、とても精力的だった。

www.youtube.comあの人は今番組の常連枠、「ザ・ヴィーナス」もなんとなく気になって調べたら、ヴォーカルのConnyは今でもオールディーズ歌手として活動中らしい。芸風が全然変わらない。すごい。

www.conny.jpここまで芸能人のそれぞれのその後を確認してみて、ふと気づいた。みんな……カッコいい!? 自分が幼少期からあの人は今番組が好きなのはもしかして、テレビなどメディアの表舞台から退いても、長年ブレていない人の人生にカッコよさを感じ、尊敬の念を抱いているからかもしれない。ずっと表舞台でシーンの第一線に立ち続け活動しているのも、すったもんだの後に、それまでのキャリアを一切捨てて華麗な転身を遂げる人も、もちろんカッコいいのだが、どんなその後でも、芯がブレない人は本当にステキでカッコいいと感じた。メディアに出まくってた人がメディアに出なくなったあとの人生が、とても興味深い。
maidonanews.jpそんな気づきから、こんなページに辿り着いた。丁寧な取材記事。フィンガー5のアキラはあの人は今のキングオブ常連だなー。どの人もコロナ禍で大変そうだけど、こうして近況をネットで知れるようになったのもよい。

自分が見ているのは主に80~90年代のものだが、ネットの機動力を活かして、2021年版あの人は今を見てみたい。「爆報フライデー」あたりでまだ細々と続いてるものの、コロナ影響もあって、かつての規模で取材して特番作るのもう無理っぽいが、90~00年代のあの人は今とか、すげー見たいじゃん? EAST END×YURIやタマちゃんが出てきたりするやつ。

そんな感じの2021年上半期でした。次回こそはゲームの話をしたい。

誕生日に休み取っておすもう観戦するヤーツー

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今日もこの日がやってきたー。マイ誕生日!
おめでとう私、ありがとう両親と家族のみんな!

今日は家族と丸一日休みを取り、誕生日を思いっきり満喫することにした。
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まずは両国、旧安田庭園へ。静かで癒やされるな~。平日の庭園を独占できるココロの贅沢さ!

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池の亀にもモテモテだった。こいつらやたら人懐っこいなー。

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お昼は前々から通りがかってやたら気になっていた、激シブな大衆食堂、下総屋食堂へ。周囲にはシャレオツなテラスカフェもあるのに、この佇まい……コロナで古くからのお店がどんどん潰れて無くなるなか、入るのは今しかないのでは? と暖簾をくぐった。

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入ってみたら、なんとおかずを自分で選択するスタイルの定食屋だった。内装もシブい……! 焼き鯖と青菜のお浸し、大根の煮物、豚汁に普通盛りごはんを選んだ。家庭料理というより、もはや家で食ってる感じの味と雰囲気……!!
壁にはサイン色紙や映画のポスターが多数貼ってあり、オザケンのPVやウシジマくんなど、どうやら映画やドラマのロケ地としても有名店らしい。「ドクターX」収録の北大路欣也とおかみさんたちの記念写真もあった。自分たちが座った席には嵐の大野くんが座ったんだよ、とおかみさんが教えてくれた。いつ消えてもおかしくない昭和遺産なお店、来られてよかった。

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両国散歩で、初めて回向院へ。鼠小僧(実在人物!)や竹本義太夫の墓があり、明暦大火、関東大震災など災害犠牲者の供養塔、そしてあらゆる種類のペット供養のメッカというのを知れた。トラの子は梅ちゃんというらしい。納骨堂を拝礼すると、歴代のペットたちがひとつに名を連ねる家や、ペットの写真が飾られた家など、大切に育てられたペット=家族がたくさん、安らかに眠っており、遺された家族たちの手厚い供養を感じ、自分もペットを飼ってきたので、胸が詰まる。静謐で神聖な場所だった。

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吉良上野介邸跡地(本所松坂町公園)も散策した。Ryogoku Meltdownな吉良さん。すぐ近所にある両国大川屋の吉良まんじゅうと鬼平だんごをお土産に買ったら、めちゃウマだった。

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ところで何故に両国? と思ったでしょう。まー元々好きな街ではあるんだけど、相撲タニマチの実家父に、5月場所の本日、10日目の升席チケットを、誕生日プレゼント的に譲ってもらったのです。ヤッター! 前にも誕生日に実家父が相撲に連れてってくれたが、また誕生日におすもうが観られるとは思っておらず、しかも都の緊急事態宣言中の入場制限も解除後だったので、最高のタイミング。

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約1年ぶりに向正面キター! いい眺望。飲食が特設スペース限定になってしまい、観戦マナーがより一層厳しくなったが、みんなちゃんと静かに観戦している。初めて力士タオルで応援して、推し力士も勝ってくれたし、照ノ富士も全勝して強かったなー。

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おすもう堪能した帰りは、実家でお誕生日お祝いしてもらった。母から「なにか食べたいものある?」と聞かれて、大好物のしゃぶしゃぶをリクエストしたら、ついでに福岡から届いたばかりだという馬肉もごちそうになった。まさかの肉パーティー! ありがとうありがとう。

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国技館のポスター。コロナがちゃんとトゲトゲしてて笑った。いやマジでみんなでコロナを押し出して、この困難を克服したいですなー。升席で焼鳥&ビールしながらおすもう観たいですわ。

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自分自身への誕生日プレゼント的に、予約していたリメイク版『ファミ探』コレクターズエディションも届いた。箱がデカイ! 調査ファイルが封してある! ネタバレになるといかんので流し見程度にした。特典サントラも含め、これからじっくり楽しむぞー。


今年の誕生日は、いろいろと嬉しいことが盛りだくさんで、とても満足した。やはり誕生日は毎年自分のために休みを取るべきだなー。みなさんもどうぞマネしてみてください。

セリアの店内BGMが良かったので、問い合わせてみた話

今日はただの日記というか、備忘録。最近遊んだゲーム話もいろいろしときたいものの(音楽追加できなくなってモチベ下がり気味の)ポッドキャスト用にするかブログ用にするか迷いどころよね~……とか言ってるうちにもう4月だよ! サイパンがあと少しでクリアだから、来月リリースのファミ探リメイクには間に合わせたい。

先日、近所の100円ショップのSeria(セリア)へ買い物に行ったら、店内で流れているBGMが、時間帯の雰囲気と相まってすごく心地良かったので、思わず手元のスマホShazamして、曲名を調べてみた。

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Barrie(バリー)の「Human Nature」。ブルックリンで活動する多国籍メンバーのバンドらしい。ジャケが地獄のミサワ感ある。他の曲もSpotifyで聴いたらすごく良くて、一気にファンになった。他の曲のPVも雰囲気がいい感じ。最近ほんとにこういう空気感あふれるドリームポップに目がない。いや目ではなく耳がない、か。

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open.spotify.com

こうしてShazamでその場で流れている曲名やアーティストが分かるのは大変ありがたい。セリアの店内BGM、かねてよりいいなーと感心していたら、ネットで調べると同じく気になってる人々がヤフー知恵袋にいたり、エントリを書いてるのが判明した。

note.com
music.usen.com

music.usen.com

有線放送だとしたら、おそらくこのへんのチャンネルっぽいのだが、いったいどんな具合に選曲、放送しているんだろうか。以前マクドナルドの選曲センスが素晴らしくて選曲チームに取材した記事を読んで感銘を受けたので、もしかしたらマックのように独自の選曲チームがいるのかな?

お友達のIDA-10さんからこんなリプライをもらったので、思い切ってセリア公式HPの問い合わせフォームから、メル凸してみることにした。数日後、お返事をいただいた。

100円ショップのセリアでございます。

この度は弊社ホームページよりお問い合わせいただきありがとうございます。

 

選曲につきましてお褒めの言葉、誠に恐れ入ります。

 

弊社は楽曲選定会社によってセレクトした曲を店舗によってランダムに放送しております。

そのため曲目リストはございません。

大変申し訳ございませんが、ご理解いただけますと幸いです。

 

ただ、ご来店された際気になる曲がございましたら、

店舗名、時間帯(〇時~〇時頃)をご連絡いただけましたら、

その時間帯に流れていたBGMをお調べし、アーティスト名・曲名をお伝えすることが可能でございます。

 

店内のBGMは季節によって曲を切り替えていますので、また店舗に足を運んでいただいた際に、

お聴きいただけますと幸いです。

 

今後ともセリアをご愛顧頂きますようお願い申し上げます。

 
とのことだった。結局選曲についての詳細は分からなかったが、やっぱり有線的な会社が選曲してるのかな。季節によって曲を切り替えているという細やかな配慮もされているとのことで、ますます興味深くなった。100円ショップで流れてる曲が気になったのも、企業へメル凸するのも初めてだったから、とても有意義な体験だった。セリアさん、お忙しい中お答えくださり、誠にありがとうございました。大好きな100均なのでこれからもお買い物&応援してます!

コロナの影響もあり、お店に入ってその場を快適に過ごす見えない演出、店内BGMを楽しむ機会もすっかり減ってしまったが、そんな今の時代だからこそ、こういう可視化されない地道な企業努力なども味わうって大事だなーと気づけた。次にどこかのお店へ行ったら、店内BGMにもっと耳を傾けてみようっと。

10 years.

3月11日。東日本大震災から、きょうで10年経った。これまで各SNSで断片的にしか震災体験を記録してこなかったが、大きな節目なので、ブログにもひとつ記録してみる。

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鈴木みそ著「僕と日本が震えた日」

僕と日本が震えた日

僕と日本が震えた日

 

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実はこの作品の第1話に、自分が登場している。縁あって担当編集さんから、鈴木みそ先生と浦安の取材をさせてほしいと頼まれた。ヒッポン読者的には「あのちゃっきりみそ先生が!?」と子どもの頃から憧れの作家さんだったので、お話がきたときにはびっくりした。私でよければ……とのことで、引き受けた。

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みそ先生画のマクガ。めちゃ似てる。ジャージがトレードマークなので着ていった。この頃はショートヘアだったんだなぁ。最近ロングストレートからデジパーかけてロングウェーブヘアになった。
駅から徒歩で、液状化が激しいエリアや自宅付近まで歩いた。動画で世界的に有名になった、セブンイレブン前の動く床エリアには、現在セブンイレブンが再オープンしている。

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10年前の今日は金曜で、たまたま歯医者通院のため有給を取り、虫歯治療の麻酔を打ってさあ削るぞーという瞬間、大きな揺れに遭遇し治療が中断してしまい、外に避難したら道路のあちこちで液状化現象が起こっていて、麻酔の麻痺を抱えたままパニックになった。近所の実家にフェレット2本を連れて避難してきたら両親に「フェレなんか構ってる場合か!」と言われて軽く口論になった。
地震から1ヶ月以上、断水でお風呂に入れず家事もできず、仕事終わりに会社近所の銭湯に行って1週間ぶりのお風呂に感激したり、マンションの有志が断水していないエリアから調達した生活水を収納ケースいっぱいに汲んできて配布してたこと、計画停電で料理もろくに作れなかったこと、夜中に小学校の仮設トイレで用足し中に余震が来て驚いたこと、震災から半年ほどの間は液状化の泥水が乾いて砂埃があちこちで舞っていたこと……書ききれない諸々の出来事が、セットになって記憶している。

自分は東京生まれの千葉育ちだが、両親や家族のルーツが福島。義兄一家が帰宅困難区域在住で、職も失い家に住めなくなったため、いわき市内へ避難移住し、数年前に新居を建てて暮らしている。東北の人たちが経験した苦難に較べたら、うちなんて……と常々思う。いつでも、これからも、福島と東北へ、想いを寄せ続ける。

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今さらながらJR浦安駅→JR新浦安駅のまちがいに気づいたり。こうして漫画に自分の震災体験を記録してもらい作品として残せたのは、とても貴重で、有意義だったと思う。上記公式HP内で、第1話が無料で読めるので、よかったら。以降のエピソードも、みそ先生の丁寧なルポ取材が際立ち、放射線の仕組みもわかりやすく解説していて、変なデマ情報に踊らされることなく、正しく怖がることができるようになった。みそ先生、担当編集さん、その節はお世話になりました。ありがとうございました。

10年があっという間すぎて、もう。これからの10年もあっという間なんだろうなー。エヴァもついに完結したのに見届けられず生きられなかった人たちのぶんまで生きて、ゲームいっぱいしたり、乗れるならバイクに乗って走ったりしたい。