Read me 激情

しがないゲーオタ女子の真・闇ブログ

エグゼクティブな惜別

※自分のことを知ってる人、(多分読んでないだろうけど)仕事関係の人へ
ただの個人的日記なので、そっとしといてください。

10月の終わりに、会社のえらい人が亡くなった。11月初頭に、ご親族と社員のみ参列の密葬に行ってきた。

ある朝、日課であるSlackの会社グループを起動したら、何の前ぶれもなく、突然の訃報が目に飛び込んできた。信じられず、激しく動揺した。まずは自分のそこそこ長い勤続人生で、職場のえらい人が現役のまま亡くなるというのが初めての経験だった。自分がえらい人と最後に会ったのは、昨年末の忘年会だった。あの頃はとても元気で、元気の姿しか知らないままとなった。
どうやら今年夏頃から体調を崩して入退院を繰り返していたそうで、容態が急変して間もなくして逝ってしまった。以前から自分は在宅勤務をしていて、社内の状況が伝わりづらいのもあったが、春から本格的なテレワーク移行したため、社内でもえらい人の病状を知らなかった社員も多いようだ。えらい人が車椅子や杖をついて出社するのを、時折数人が見かけた程度とか。

f:id:macgirl360:20201122151827j:plain

通夜会場。でかい。ここって有名人レベルのすごい人が葬式挙げるような場所では……通勤時代、ランチのついでに立ち寄って訪れたことはあるが、然るべき用事で入るのは初めてだった。翌日の告別式も同じ会場だった。
コロナ禍ゆえに、人数を絞った小規模な密葬になるかと思いきや、家族も同然の社員全員で見送ってほしいとの遺言で、かなり大勢の参列となった。コロナ以来、初めて家族以外の人間たちと会食や歓談し、実はちょっと心配でもあったが……会場もコロナ対策は万全だったし、2週間過ぎても特に体調の変化はなく、ただの懸念で終わって安堵した。

斎場では、えらい人が大好きだった曲が数曲流れていた。毎年忘年会の締めで、社員全員で唄っていた坂本九の「上を向いて歩こう」が流れるなか、故人となったえらい人と無言の対面をしたら、それまで堪えていたものがこみ上げ、じんわりしてしまった。

www.youtube.com


忘年会では毎回、えらい人のカラオケショータイムがあり、数年前には、ザ・スパイダース(井上順)の「なんとなく なんとなく」を唄っていたのが、特に印象的だった。斎場でも堺正章の「さらば恋人」が流れていたし、世代的にもグループサウンズが好きだったのだろう。

縁のある曲を聴くうちに、自分が転職で入社してから今年で16年、これまでのえらい人の思い出が、いくつか去来してきた。

****

毎年、社内恒例行事で、2月の節分に年男・年女、厄年の社員で大本山の寺へ厄除け護摩祈祷に行くのだが、女の厄年で選出されて初めて参加した。えらい人も同じく厄年で、祈祷後にウナギをご馳走になりながら、うちの父と同じ歳ですね、と話したのを覚えている。

過去に何度もガンを克服していて、一度体調を崩して大きな病院へ入院した際にお見舞いへ行ったら、テレビドラマなどでよく見る、書斎とバストイレ付きの超一級の個室でビビった。むかし肺を半分取って、いまは大腸の治療中だが、なんとか生きてるぞ、と力強く話していた。のちに大腸ガンの手術だと伺い、ガン闘病している人にはとても見えなかった。

創立記念パーティーを、各界からお客を招いて2回ほど、超高級ホテルで豪華に開催した。えらい人がステージで「これからもいい薬を飲んで、元気に長生きしましょう」とコメントしていて、同僚と「“いい薬”ってなんだろう……?」と顔を合わせた。きっと世の中には、えらい人たちにしか入手できない超高価な“いい薬”があり、それを飲むとハイになり長寿でいられるのかも、という謎の結論になった。

今年の創立記念日集会は、残念ながらコロナで中止になってしまい、来年大台に乗る創立記念日こそは再び超高級ホテルでやるぞー、と息巻いていたから、これからもますますご壮健で……と思っていたが、あまりにも突然の別れすぎて。きっと亡くなった本人が一番驚いているに違いない。来年こそ記念すべき一年で、まさか自分が志半ばで死ぬはずがないと。

****

……末端中の末端社員で接点もあまりなかったから、特別コレといったエピソードがないな。そういえば、えらい人は自分を呼ぶとき、姓でなく下の名で呼んでいたことがあった。自分はなぜか、上司に下の名前で呼ばれやすいタイプらしい。あれは何でだろうと今さら不思議に思うが、もう答えは出てこない。

翌日の告別式。喪主の弔辞で、壮絶な闘病生活エピソードが語られたあと、亡くなる1週間前に「もう俺はやり切った、思い残したことも、悔いも何もない」と漏らしていたと聞き、あんなに強気で気丈に振る舞い、パワフルだったえらい人が、弱音のような、諦めのような言葉を吐くなんて……と、居たたまれない気持ちになった。

火葬場までバスで向かい、遠目から火葬炉に棺が入るのを見届けていたら、炉の中から突然スモークが噴き出し、棺にスポットライトが灯って、ちょっと驚いた。これから新しい世界への旅立ち演出のひとつだろうが、初めて見た……これが特別室仕様なのか。

えらい人なので、院号もなんだかすごかった。現世で偉業を成し遂げた証として新たな名前を与えられ、お釈迦様のところへ旅立つ……という説法を聞きながら、えらい人がえらい名前を与えられたら、あの世でもえらい人のままでいられるのだろうか……とフトした疑問が。宗教的なテーマは明確な答えがなく、思い詰めるとキリもないが、一度も死んでないこの世の人間は、あの世のことなんて一切知らないのだから、死が訪れるまでの間に各々の知見をもって想像、考察し、死を正しく戦き、遺された時間を有意義に過ごすしかないのだと思う。

思えば長い社会人人生――といいつつ3社しか渡り歩いてないが、これまで勤めた編プロ~広告デザイン会社の2社は、良くも悪くも部活の延長線のような職場の雰囲気や仕事内容で、若気の至りや、ときには無茶もある、まさに青春の場所だったが、いまの会社は創業出発が営業職なのもあり、いかにもパブリックイメージ的な会社らしい会社という感じで、グループ一丸となってそれぞれの目標に向かってがんばるのが、社会人の仕事なんだな、と教えられた。長い勤続を経て定年退職していく人の姿も、ここに来て初めて見た。

この期に改めて数えてみたら、自分はえらい人から数えて、社内で10番目くらいの古株社員だったことに気づいた。自分より古い人たちはおろか、後に入った人間のほうが役職的にえらいほどだ。入社した16年前は上に3-40人ほど先輩社員がいたはずだが……。
また、入社してから社内関係者の葬式に参列したのが、今回のえらい人も含め、5回目だった。同僚編集が2人(秋田まで喪服持参し日帰りで行った)、定年退職した営業さん1人、上司の親族1人。さすがに16年も在籍していると、いなくなる人のほうが多いな……見送るって、さみしい。

OBの友人・Yくんにも、訃報を伝えた。自分より社歴が古い人はもう稀少で、社内で連絡が取れない人間も多く、Yくんが辛うじて知っている歴代OBへ連絡してもらった。ありがたい。コロナ禍かつ第3波もあり、来月の社葬で何人お目にかかれるか分からないが、こういう機会でないともはや二度と会えない人たちも多いだろう。えらい人のお別れ会でもあるが、生きている自分たちとの同窓会、もしくはお別れ会でもあるような気がして。密を避けつつ、ほんの少しの時間でも昔話ができたらいいな。

ところで、以前ポッドキャストでも話したが、昨年末、実家の古くから知人で、身寄りがなく生活保護を受けていたおじさんが孤独死し、しばらく斎場の遺体安置所で冷凍状態が続いていたが、今年春頃にひっそりと火葬され、遺骨が役所預かり、事実上の無縁仏となった。火葬もコロナの影響で親族すら立ち会いが不可となり、コロナによる重症患者や死亡者も増加中の頃だったので、遺体安置所スペースを空けるためにさっさと焼かれてしまったのだろう、とのことだった。実家父にえらい人逝去の話をしたら、「どんなに偉くても、お金を持っていても、病気には勝てず、死ぬときはひとりぼっちで死んでいくんだなぁ」と呟いた。
えらい人の荘厳な死と、知人おじさんの孤独死。弔われ方は天地ほどの差はあるが、みんな平等に、ひとりで死んでいく……えらい人の好きだった「上を向いて歩こう」の、“ひとりぼっちの夜”の意味合いが、なんだか違って聞こえてくる。

自分もいつか来たるべき時に向けて……という気持ちは、わりと常に漠然とあって、たとえば葬式ではこんな曲をかけてほしいってリクエストとか、ここに遺したら遺族が叶えてくれるのかな……あーでも葬式で曲かけるのめっちゃ金かかるみたいだし~、とか。

www.youtube.com

自分はコレ。レナード・コーエンの「ハレルヤ」。ベタかもしれないけど、人生で一番好きな曲のひとつ。レナード・コーエンも、今はもういない世界なんだな……。
命の危機や、別れが身近になってしまったからこそ、いつもどこか心の片隅では、人生との、現世との別れの覚悟を置き、自分の人生に関わってくれた、遺された大切な人たちへの感謝を胸に、これからも生きていきたい。

今回の葬式は、これまで経験したことのない規模だった。通夜振る舞いも精進落としも、今までお目に掛からないような豪華な食事だったし、えらい人らしく、最期までどこまでもエグゼクティブなお別れだった。

社会の末端と、ネットの片隅から、今までありがとうございました。